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産業技術総合研究所(産総研、AIST)では、「AISTアプリ」として化学データのインフォマティクス解析用アプリ群を公開しています。AISTアプリは、AISTの研究者によって開発された様々な先端的データ解析手法が搭載されており、また、ほぼマウスクリックだけの簡単な操作でAIST研究者と同じレベルの解析が実行可能といった特徴のある、大変有用なデータインフォマティクスアプリ群です。

AISTアプリシリーズの中でも「PCA ToolBox」は、分光スペクトルやマススペクトルの主成分分析が簡単に実行可能なものであり、近赤外分光法で得られた吸収スペクトルの変化などを理解するのに最適なものです。

小型近赤外分光器S-G1は携帯性や堅牢性に優れた小型近赤外分光器であり、フィールドワークでの近赤外吸収スペクトル測定に威力を発揮するものです。このS-G1での近赤外吸収スペクトル測定とPCA ToolBoxでの解析の組み合わせは、スペクトル測定からデータ解析までを迅速・簡便に行うことができるので、様々な素材に対して経時的な化学組成変化追跡などの目的に対して、極めて実用性の高いものとなります。

S-G1とPCA ToolBoxの解析の組み合わせで、2つの事例についてスペクトル測定と解析を行ってみましたので、記事として報告します。今回は1つ目の事例として、「散薬の吸湿変化のモニタリング」について報告します。

散薬(いわゆる粉薬)は、小児科や精神科領域でよく用いられる剤形です。通常、散薬は一包化(服用タイミングごとの個包装化、図1)されて患者に投薬されますが、この時に用いられる包装フィルムは湿気を通すセロファン素材のものが多く、そのため内部の散薬が吸湿してしまうことがあります。散薬が吸湿してしまうと、有効成分の化学変化を促進したり、服用後の有効成分の溶解速度に影響したりし、本来の薬剤の効果が期待されない、あるいは副作用発現につながるといったことになる可能性があります。吸湿のしやすさは薬剤によって異なるため、薬剤師は薬剤ごとの特性をよく理解した上で、一包化後の吸湿モニタリングなどを適切に行い、一包化散薬の保管方法などを検討する必要があります。

図1.一包化した散薬

今回は、吸湿しやすい散薬として代表的な「デパケン細粒40%」と、あまり吸湿のおこらない「ガスター散2%」をサンプルとして用い(図2、3)、S-G1による近赤外スペクトル測定とPCA ToolBoxによる解析でそれぞれの薬剤の吸湿変化のモニタリングを行いました。

図2.今回用いた散薬サンプル

図3.一包化したデパケン細粒40%(上)とガスター散2%(下)

【測定装置の構成】

今回の近赤外吸収スペクトル測定に用いた装置を図4に示します。測定・解析用PC(Windowsタブレット)には、S-G1に付属の標準測定用アプリをインストールし、このアプリを用いて散薬の近赤外吸収スペクトルの測定を行いました。セラミック板は、縦50mm×横50mm×厚さ2mmのもの(ミスミ、品番CEA-50-50-2)を使用しました。

図4.測定装置の構成

【実験方法】

1.一包化散薬の近赤外吸収スペクトル測定

近赤外吸収スペクトル測定のリファレンス測定は図4のセラミック板を用いて行い(図5)、各一包化散薬のスペクトル測定はS-G1とセラミック板で散薬分包を挟んだ状態で測定しました(図6)。

なお、S-G1での近赤外吸収スペクトル測定の測定条件は、下記のように設定しました。

  • スキャン方式:Hadamard
  • 波長領域:900 – 1700 nm
  • 波長幅:2.34 nm
  • 露光時間:0.635 ミリ秒
  • データポイント数:228
  • 平均スキャン回数:10回

図5.リファレンス測定

図6.一包化散薬の近赤外吸収スペクトル測定

2.湿度環境の構築

低湿度環境はタッパーにシリカゲル乾燥剤を入れて密閉することで構築しました。一方、高湿度環境はタッパーの中にビーカーを置き、ここに水を満たして密閉することで構築しました(図7)。図中の湿度計が示している通り、低湿度環境では相対湿度は約20%、高湿度環境では相対湿度は約80%となっています。なお、室温は実験期間を通じて約28℃に設定しています。

図7.低湿度環境と高湿度環境の構築

3.タイムコース

図3に示した「デパケン細粒40%」と「ガスター散2%」を一包化したもの(それぞれ0.5 g/包×5包)を、図7の低湿度環境と高湿度環境に次の時間設定で封入し、設定した測定ポイントで全包の近赤外吸収スペクトル測定を図6の方法で行った。

・低湿度環境に6時間封入
  ↓
・近赤外吸収スペクトル測定(測定ポイント①)
  ↓
・高湿度環境に12時間封入
  ↓
・近赤外吸収スペクトル測定(測定ポイント②)
  ↓
・低湿度環境に12時間封入
  ↓
・近赤外吸収スペクトル測定(測定ポイント③)
  ↓
・低湿度環境にさらに12時間封入
  ↓
・近赤外吸収スペクトル測定(測定ポイント④)

4.測定データの回収

「デパケン細粒40%」、「ガスター散2%」のそれぞれについて、出力データ(csvファイル)を回収し、その中のスペクトルデータ部分を抽出して一つのエクセルファイルにまとめた(図8)。

図8.まとめたスペクトルデータの一部。行方向にサンプル番号({測定ポイント番号}-{分包番号}のフォーマット)、
列方向にデータポイント(波長(nm))をとっている。

【PCA ToolBoxによるデータ解析】

1.データの読み込み

AISTアプリの「PCA ToolBox」を立ち上げます。

「データの読み込み」の「スペクトル」から、図8のエクセルデータを選択して読み込みます。

データが読み込まれたらスペクトルの前処理を行います。まずは、Savitzky-Golay法による平滑化および2階微分処理を行います。「ポイント数」(処理行う際に使用するデータポイント数)の値を調整することで、「前処理後データ」のウインドウにプレビューが表示されます。ポイント数に応じた平滑化の状況を確認しながら、最適なポイント数を選択します。ポイント数が確定したら「二次微分を実行」を押下して、平滑化および微分処理を確定します(今回は23ポイントで確定しました)。

Savitzky-Golay法による平滑化および2階微分処理では、両端にポイント数に応じたNull値データが挿入されます。これはその後の解析の際に悪い影響を与えるので、次に両端をトリミングします。

開始と終了の枠に該当する横軸の値(今回であれば波長)を入力し、「変数領域を選択」を押下して領域確定します。

次に処理データの標準化を行います。ここまでの前処理済みの各スペクトルデータについて、データの値が平均値0,分散1になるようにデータの値を調整します。この作業は、「ノーマライズ」のボタンを押下するだけで完了します。

ここまで前処理が完了したら、左下の「PCAプレビュー」を押下してPCA(主成分分析)を行います。

PCAの結果がスコアプロットのエリアに表示されました。これだけではどの点がどのデータに相当しているかわからないので、「凡例表示」を押下します。

そうすると各ポイントにデータラベルが付与されます。これでどのデータがスコアプロットのどの位置にプロットされているかわかります。

ローディングプロットのエリアには、PC1のローディングプロットが表示されていますが、「主成分」の値を変えれば別の主成分のローディングプロットが表示されます。

上の図では主成分2のローディングプロットを示しています。

ここで左下の「図の表示」を押下すると、スコアプロットとローディングプロットが独立した図として表示されます。これをコピーしてレポートなどに添付するといいでしょう。

【結果と考察】

「デパケン細粒40%」、「ガスター散2%」のそれぞれの測定データについて上述の解析を適用し、得られたスコアプロット(PC1-PC2)とそれぞれの主成分のローディングプロットを図9-14に示します。

図9.デパケン細粒40%で得られたデータのスコアプロット(PC1-PC2)

図10.デパケン細粒40%で得られたデータのPC1ローディングプロット

図11.デパケン細粒40%で得られたデータのPC2ローディングプロット

図12.ガスター散2%で得られたデータのスコアプロット(PC1-PC2)

図13.ガスター散2%で得られたデータのPC1ローディングプロット

図14.ガスター散2%で得られたデータのPC2ローディングプロット

まず、吸湿しやすい散薬であるデパケン細粒40%を吸湿、乾燥させた際のスペクトル変化について見てみます。図9のデータラベルが「1-x」となっているものが、【実験方法】の3で示した「測定ポイント①」つまり乾燥状態でのスペクトルデータです。データがスコアプロットの右下に集まっていることが分かります。ここから高湿度環境に置いたときのスペクトルデータが「2-x」のデータ群(測定ポイント②)で、これは「1-x」からプロットの左上方向に移動しています。その後、低湿度環境に再びおいて12時間後(「3-x」、測定ポイント③)、24時間後(「4-x」、測定ポイント④)とデータを測定しますが、これらのデータがプロットの左下に集まっています。ここで重要なポイントは、「4-x」のデータが「1-x」の領域に戻ってきていない、ということです。デパケン細粒40%は、一度高湿度環境に置くと、その後いくら低湿度条件に置いてももとの状態には戻らない、つまり高湿度下で不可逆的な物理化学的変化を起こしていることがわかります。

ローディングプロットと合わせて考えるとさらに理解は深まります。PC2のローディング(図11)が1450nm付近で負のピークを示していることから、PC2が水分子を示していることがわかります。PC1はデパケン細粒40%の製剤そのもののスペクトルを示していると考えられます。測定ポイント①から②でスペクトルデータがスコアプロットの左上方向に移動しているということは、製剤が水分を抱えながら(PC2スコア増加)、有効成分であるバルプロ酸ナトリウムの物理化学的変化が起こっている(PC1スコアの減少)ことが示唆されます(有効成分以外の添加剤は吸湿では物理化学的変化を起こさないため)。その後測定ポイント③および④でPC2のスコアは減少しているため、表面の付着水は製剤から脱離していることがわかりますが、PC1スコアが測定ポイント②から大きく変化していないということはバルプロ酸ナトリウムの物理化学的変化がもとに戻っていないことを示しています。ここでいう物理化学的変化が、バルプロ酸ナトリウムの結晶構造等の物理的変化なのか、あるいは化学構造の変化なのかを明確にするにはLC-MSなどを使ってさらなる分析が必要になりますが、少なくとも吸湿によって有効成分であるバルプロ酸ナトリウムがもとの状態から変化してしまっていることは明確です。

いずれにしても、吸湿によってデパケン細粒40%の有効成分であるバルプロ酸ナトリウムは、何らかの不可逆的な物理化学的変化を起こしており、それは乾燥によってももとには戻らないことが、今回の分析で明確に示すことができました。吸湿したデパケン細粒40%製剤は、その後いくら乾燥させてももはや本来の薬効は期待できないのです。

一方で、吸湿しにくい製剤であるガスター散2%での変化を見てみます。スコアプロット(図12)において、測定ポイント①のデータ(「1-x」)は右端に集まっています。高湿度環境に置くことにより(「2-x」、測定ポイント②)、データは一度スコアプロットの左側に移動しますが、その後低湿度環境で12時間(「3-x」、測定ポイント③)、24時間(「4-x」、測定ポイント④)置くと、データはもとの測定ポイント①のデータの領域に戻ってきています。ローディングプロットを見ると、PC1のローディング(図13)が水を示しています(正負逆になっている点に注意)が、これが吸湿とともにマイナス側(つまり水分が多くなる方向)に移動し、乾燥によってまたもとに戻っています。これは単純に高湿度環境で製剤表面の付着水が増加し、乾燥によってそれが脱離した、ということになります。PC2方向の変化はあまりないので(「2-5」は測定ミスによる外れ値と考えられます)、吸湿によって製剤成分そのものが変化していることはないと考えられます。

【まとめ】

今回は、分包した散薬が環境の湿度によってどのように変化していくかを、小型近赤外分光器S-G1による近赤外吸収スペクトル測定とAISTアプリ「PCA ToolBox」による主成分分析により解析してみました。吸湿しやすい散薬であるデパケン細粒40%は吸湿により有効成分に物理化学的な変化が起き、乾燥させてもその変化はもとに戻らないこと、および吸湿の起きにくい散薬であるガスター散2%は吸湿・乾燥によって付着水が吸着・脱離しているのみで有効成分の変化はないことが今回の解析から確認できました。

このように、小型の近赤外分光器と簡単に主成分分析ができる解析ツールとの組み合わせることで、薬剤師が薬局内での実験により様々な薬剤の吸湿変化などを把握することが可能となります。吸湿変化だけでなく、光分解や配合変化などについても同様の手法で把握することも可能です。薬剤師は「医療チームにおける化学の専門家」です。薬剤師の先生方には、ぜひ自身のスキルの一つとしてこのような分析法をマスターして、よりよい調剤業務に活かしていただきたいと思います。

今回用いたPCA ToolBoxは、直観的な操作でスペクトルデータの前処理から主成分分析までが一つの画面上で簡単に実行できるものです。パラメーター設定もプレビューを見ながら最適値を選択できますし、PCAのやり直しなども「前処理リセット」ボタンで何度でも実行できます。得られた結果(スコアプロットやローディングプロット)も図として出力するだけでなく、エクセル形式での出力も可能で、レポートやプレゼン資料の作成にも柔軟に対応できます。通常スペックのPCでもアプリの動きが非常に軽いので、操作にストレスも感じません。筆者もこれまで様々なデータインフォマティクスアプリを触ってきましたが、このPCA ToolBoxは、簡単、速い、柔軟という点で極めて優れており、スペクトルデータのデータインフォマティックスの初学者からエキスパートまで、幅広い層にとって使い勝手のいいアプリとなっていると思います。今回は薬剤師中心の話しを展開しましたが、様々な分野で活躍される方にもぜひ一度使ってみていただきたいおすすめアプリです。

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